なげいれ 花の教室 2018 林田英子 戻る |
なげいれのすすめ 受講生の方へ 10のメッセージ 四季の息吹を 日々の暮らしに -自然の草木をいける |
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一
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四季に習う 自然を読む |
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「なげいれ」は自然に適い、私の心に適う花。 季節感を大切に、草木の<いのちの姿>を尊び、美しい日本の花の詩形を求めていきます。 四季の巡りの中で、風霜晴雨 厳しい自然に曝されながら、草木は時々刻々変化し、変貌します。 その風姿に目を留め、心を重ね、対話し、生かす。 「なげいれ」は型も流派もありません。それはとらわれない自由さ、裸眼で見つめ、感じ、思うことであり 本質なき<自由勝手流>とは違います。 また、<心に適う花>といえど人の<固執・我意>は、「花」本来の自然の気配を濁らせ、消してしまいます。 花たちの声なき声を掬うことに専心し、自然に貞きき、自然に習う謙虚さが、なげいれの大事の一つです。 |
二
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山路来て何やらゆかしすみれ草 芭蕉 | ゆかしい花の名 古里の記憶 |
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口に唱え、耳に聞こえてくる野の草々の名は、 一瞬にして、遠い日本の原風景の記憶を呼び覚ましてくれます。
古より、詩歌に詠まれ、絵に描かれ、工芸意匠に耀く、「美」に結実した一木一草一花。 いのちのかたちとして、心の在りかとして、人々の中に思い起こされ 生き続けています。 |
三
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四季一生 花は人なり |
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四季一生、師の教えの一つです。 芽吹き、咲き初め、繁茂し、結実、紅葉、やがて末枯れて散り逝く、花の一生。 その一木一草一花の移ろいを見続けていくと、折々に、琴線に触れる花の風姿と出合います。 言いかえれば、それは自身の一つの<こころのすがた>との出合いでもあり 草木の誕生から死、再び生へと 毎年繰り返される<いのちの実相>は まさに「花は人なり…」と、感じずにはいられません。 そして… 美に昇華した「花」は、単に<きれいなお花>ではなく、「ハナなるもの…」の魂の気配を纏います。 そのことへの気付きが身の内に宿るには、自身ずいぶんと長い年月を要しました。 いや、まだまだまだまだ…、頭を垂れ、花に貞き続けなければならない旅の途中です。 |
四
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野草を育てる 花ごころの種を蒔く |
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春! 黒い土を割ってツンと出てくる草々の芽生えは、何とも幸せな時の訪れです。 「再び1年よろしく…」の挨拶をします。 狭いベランダに置かれた1鉢1鉢に水を与え、日々見続け、声をかけるしかできませんが、 花たちは静かにその営みを続け、毎年美しい姿を見せてくれます。 人見るもよし、見ざるもよし、われは咲くなり (武者小路実篤) <私>という小さな自己の意識が強い時代にいると 自然界の草木の有り様には、手が合わさります。 |
五
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発見の美 裸眼 |
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あなたは何に心が留まったか!その初動が重要です。 「なげいれ」の花は、心の針が振れずして、1本たりとも花を入れることはできません。 <花材>を綺麗に整える、形を作りあげる、などは本題ではないからです。 常日頃、裸眼で自然を見続けていると、あなた目線の<発見の美>を得ることができます。 <花のいのち>と向き合えるか、単なる<花材>と思うのか、途は分かれます。 |
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六 |
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鮮度 |
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なげいれの花は、即決・即断は、大事の一つ。 瞬時に「美」の耀きを感じ、摑む。そして水に放つ。 目垢・手垢が付くという言葉が「美」の世界にありますが 延々ああでもないこうでもないと、我意執心で花を触りきっていると <鮮度>は落ち、輝きも失せてしまいます。花も器も。 花の意思をおもってみる-、大切かと。 |
七
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いのちの滴 こころ澄む |
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なげいれの原点は、茶事にて亭主自らが花を心入れする、<侘び茶の湯の花>の精神にあります。 花を清め、器を清め、場を清め、心入れした一輪の花は、澄みきったいのちの滴。 花なるもの…その空気感に辺りは清められます。 稽古場でも、一番にお伝えしたい、花をいける心ばえの一つです。 そして、時節の花を育てるたのしみ、花のいのちを頂く感謝の気持ち、供するよろこび。 そうした花と向き合っていく中で、無私の清らかさというものに気付かされていく… 解せても、人はそのようには実際なかなか生きられません。 しかし、花をいけるには、抱えていなければならない<大事>と思っています。 |
八
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五感 「感応力」は力 |
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先人は花のいのちの移ろいを、咲き初めの清新な「初花」 |
九
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見えてくる花… 鎮まる |
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<見せる ! 花>、そして<見えてくる…花>へ それには、「私」という<自分濃度>を薄めていく意識をもつことも一つかもしれません。 「小さな自己へのこだわりは、サッサと自ら蹴飛ばしたらいい」、ずっと以前、心に刺さった師の言葉です。 |
十
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最後に… 野の花と仲良くなろう |
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教室では あなたの周辺に在る、心に留まった草・木・花、庭の花、ベランダの花…勿論雑草も わずかでいいのでお持ちください、と長年お声かけをし続けています。 春ですと、菫、土筆、蒲公英、薺、蕗、筍なども持ってみえます。 梅雨の頃には透明感ある山紫陽花、露草、昼顔をはじめ、 青桃、青梅、枇杷、木通、桑、椿の実、青柿、など、お庭のまだ青い実のものも登場します。 真冬、大雪の翌日に箱に雪を詰めて、稽古場にお持ちになった方も-。 持ってみえる方は、水揚げも、花の運搬の際の繊細な諸注意も、自ずと身につけていかれます。 お教室で用意した花材も、そのあと上手に手を掛け、1年後に再び連れてみえます。 名前のわからない雑草も、<雑草という名の草は無く…>それぞれ調べておられます。 皆さん、少しずつ<なげいれの花心>を育み 暮らしに、花育が取り込まれるようになって居られるようです。 なげいれは<好き!>という心の傾きが原動力。 足元の草々に目を落としてみましょう! 木々を見上げてみましょう! できれば草花を育ててみましょう! ベランダでも、山野草を育て楽しんでおられる方は多くいらっしゃいます。 なげいれはあなたができる<心の提出>を求めています そこからなげいれの第一歩が始lまるからです。 それぞれの方の、「ハナ」への心の発芽…、望んでいる稽古場です。 |
芸術新潮 「たてはな神話」 6年間連載(全69回) 2006/1~2011/12 |
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川瀬敏郎作品集 一部です→ |
一日一花 2012 |
神の木 2010 |
今様花伝書 2002 |
四季の花手帖 [1] 春~夏へ[2] 秋~冬へ 2002 |
Inspired Flower Arrangements 1990 |
花会記 1990 |
花と器 1983 |
川瀬敏郎先生 「和道 日本文化 心のしきたり 美のこだわり」 |対談連載 2015年 日経ビジネス ON-LINE (web) |
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花道編:第1回 | 花をたてること | 様々な伝統文化の第一人者との対話を通して、 日本人の精神の原風景や 美意識の源流を辿り 解き明かしていく。(コラム紹介文より) |
花道編:第2回 | 花をいれること | |
花道編:第3回 | 花をいけること | |
花道編:第4回 | 花が「花」になる |
月刊 「 なごみ 」 淡交社 (茶道美術図書出版) 2018/1月号より <花屋さんの茶花こぼれ話> 連載 能村菊人 花長店主 |
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1月 正月の空を舞う突羽根 | 5月 今も咲き続ける大山蓮華 | 9月 たかが薄、されど薄 |
2月 茶席に春を呼ぶ檀香梅 | 6月 本当の鉄線 | 10月 |
3月 ひな祭りの後こそ見頃の花桃 | 7月 桔梗は夏の花? 秋の花? | 11月 |
4月 思い出の風景がよぎる都忘れ | 8月 復活をとげた仙翁花 | 12月 |
酒井抱一と 江戸琳派の全貌 |
鈴木其一 江戸琳派の旗手 (図録) |
百椿図 根津美術館 (舘蔵品図録) |
並河靖之七宝 (図録) |
衆鱗図(第一~四帖) 香川県立ミュージアム (舘蔵品) |
草づくし 白洲正子 著 1985 |
茶花の話 西堀一三 著 1998 |
骨董をたのしむ 花の器づかい 1996 |
お茶人のための 茶花の野草大図鑑 改訂版 |
花にもの思う春 白洲正子の新古今集 白洲正子 著 1997 |
尾崎左永子の 古今和歌集・新古今和歌集 尾崎左永子 著 1987 |
王朝のかたち 宮廷文化を伝える風物たち 猪熊兼樹(文)林美木子(有職彩色) |
源氏の由可里 和菓子 源氏物語 吉川冬季子 著 1985 |
白川静の世界 漢字のものがたり 2001 |
白川静 漢字の世界観 松岡正剛 著 2008 |
生命の樹・花宇宙 杉浦康平 著 2000 |
かたち誕生 図像のコスモロジー 杉浦康平 著 1997 |
比叡山回峰行 白洲正子 著 後藤親郎 写真 1975 |
野口体操(野口三千三) 感覚こそ力 羽鳥操 著 2002 |
春宵十話 岡 潔 著 (数学者) 2006 |
植物記 埴 紗萠 著 1993 |
たねの旅立ち 香取一 著 1994 |
空の名前 高橋健司 著 1997 |
Im eisigen Weiss 洋書・2016 Vincent Munier (ネイチャーフォトグラファー) ヴァンサン・ミュニエ(仏) 著 |
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